新時代のソーサリアンを提案する

30周年を越えたソーサリアンの夢と妄想を語り続ける

シナリオ勝手比較論(編集後記に代えて)

 以下の文章は、本サイトで掲載させて頂いたシナリオを、管理者が勝手な自分視点で比較分析するものである。単一のシナリオでは情報も少なく、比較しにくかったので、主な比較の対象は複数のシナリオを掲載させて頂いた、ときのじさん、Salvadorさん、私の作品を主としている。

 あくまで個人の感想で、作者各位の趣旨とは全く違う可能性もあるが、その点はご容赦頂きたい。本論が、作者各位への礼を失するものでないことを祈る。

※ネタバレ表記多数。本編未読の方は十分に注意されたい。

シナリオの組み立て方

ときのじさん ストーリー指向(主軸系)
Salvadorさん 会話志向(群像系?)
わたし 仕掛け指向

 それぞれ綿密に練られたストーリーだが、なにを基点としているか(スタート地点)が三者三様であるように思えた。

 ときのじさんのシナリオは、一本筋のストーリーがまずありきだ。普段小説を執筆されている方らしく、小説をそのままシナリオに落とし込んだ雰囲気が強く出ているように思われた。あらかじめ用意された道筋に沿って、安心して楽しめるしくみだ。

 反面、Salvadorさんは、ストーリーありきなのだが、あえて一本筋を避けているように見受けられる。「怒りの追撃」でマルチエンディングを採用されているのもそうだが、その他のシナリオでもあえて登場人物に多くを語らせず、細部や解釈はプレイヤーの判断にゆだねているように感じられた。

 登場人物の会話にもその違いが出ている。ときのじさんは主要な登場人物がメインにストーリーを牽引させているが、Salvadorさんはむしろ脇役に語らせ、その総体がストーリーとなっている。結果、フラグに関係しない会話/人物が多く登場しているのも、Salvadorさんの特長だ。結果、時として言葉足らずに思われることもあるかもしれないが、断片的な台詞の組み合わせをどのように判断するかはプレイヤー次第なのだ。

 ソーサリアンの台詞の扱いも同じで、ときのじさんは作者の代弁者としてソーサリアンの台詞を活用しているのに対して、Salvadorさんはソーサリアンの台詞はほぼ使っていない。そこは、プレイヤーに委ねるということなのだろう。

 なお、拙作は「仕掛け指向」に分類しているように、ストーリーは後付けだったりする。たとえば「剣と魔法の都ペンタウァ」であれば<五元素のマント>、「脱出」であればiOS版のシカケ、「イース」であれば<イースの書>というテーマやアイテムがあって、そこからストーリーを肉付けするという方法をとっている。リメイク版である「新・天の神々たち」ですらストーリーの見直しというよりも、アイテムやイベントに対して、どのような新しいゲーム性を付与するかという点を主軸に構想を組み立てている。

 そんなわけで、「脱出」などは道中の過程が先に仕上がっていて、プロローグとエンディングは後付けだったし、「剣と魔法の都ペンタウァ」はそもそも最初はキングドラゴン登場の予定はなかった(笑)。

 より「仕掛け指向」的なシナリオという意味では、とくしさんの「いにしえのダンジョン」がある。これはシナリオという範囲にとどまらず、新たなソーサリアンシステムの提案にまで踏み込んだ意欲作であった。個人的には、「いにしえのダンジョン」は、それ単体として、ソーシャル版ソーサリアン(イベント型)として発展できる可能性があったのではないかと感じていた*1

[補論]
 一寸意外だったのが、私を除いて他の皆さんがそれほどNPCを利用していなかったこと。拙作では、NPC登場はほぼ大前提で、全シナリオNPC付では飽きたらず、No.2「脱出」の3人NPCであったり、No.4「時の封土」/No.5「新・天の神々たち」のアイテムNPCがあったりだったので、この違いは思わぬ発見だった

 この辺も、あるいは、シナリオの基点となる部分に関係しているのかもしれない。ときのじさん、Salvadorさんはあくまでストーリーありきであったので、ストーリーで必要であればNPCも活用するし、さもなければ無理して登場させない(当然のことだ)。反面、拙作ではシカケありきだったので、NPCという要素をまず活用することが前提としてあった。

タイトルの命名方法

ときのじさん 3文節以上、小説/詩の一節
Salvadorさん 感情、意思
わたし 無機質、抽象的なワード、サブタイトルも

 ときのじさんのタイトルは、最も特徴的だ。ご本人曰く、ライトノベルから影響を受けているということで、実際、小説や詩の一節を思わせるタイトルの傾向が強い。

 一方、私含めてその他の方々は、比較的スタンダードなタイトル付けであるが、細かく見ていくと、それぞれの癖が強く出ているように思われる。

 まずSalvadorさん、キーワードの選び方に感情や意志が強く出ているように思われた。「喜び」「怒り」「こえるべき」などがそれだ。「最後の」も捉えようによっては、連作の最後を惜しむ作者の思いが含まれているようにも取れる*2

 一方、私は無機質で、比較的抽象的なワードが多く、タイトルだけでは内容を想定しにくいものすらある(同じく無機質系としては、とくしさん、えくすたあさんも同様であるが、舞台やアイテムを明確に謳っており、より具体的である)。

 たとえば「時の封土」などはその典型だし、「剣と魔法の都ペンタウァ」も最初はこれだけだったのだが、あまりに内容が類推しにくいのでサブタイトルを付けたという経緯がある。あまり意識したことはないのだが、私自身、タイトルは最後までプレイしてから理解してほしいという思いがあるので、無意識にぼかしていた…のかもしれない。サブタイトルが多いのも、その反動と言えるだろう。

 ちなみに、拙作No1「剣と魔法の都ペンタウァ」、No.2「脱出」をときのじさん、Salvadorさん風?にしてみた。

  ときのじさん Salvadorさん
剣と魔法の都ペンタウァ 妖魔滅びを偲びて 哀しみのヴァンパイア
脱出 嗚呼遥かなりし故郷よ 炎の脱出

 ん、イマイチ…w

テーマの選択方法

ときのじさん ファンタジー
Salvadorさん 現実
わたし ファンタジーと現実の中道

 テーマの選択方法にも、傾向が見られた。

 ときのじさんは総じてファンタジックなテーマを得意とされている。ネタバレになるため詳しくは語れないが、優秀賞作品「深き森の魔女」は魔女や盗賊など童話の世界をそのままソーサリアンの世界に当てはめたようなファンタジー色溢れるシナリオであった。

 その後の「奪われし我が友よ」は幽霊屋敷のおどろおどろしい雰囲気を、そして、「少女は英雄を語りて」は絵本の中の世界を題材とすることで、それぞれ非現実なエンターテイメント性を演出していた。

 一方、Salvadorさんの世界はきわめて現実的だ。舞台は当然非現実であるが、いつかどこかにあってもおかしくない現実の息吹を感じる。ご本人曰く、「怒りの追撃」のケイリス、クラウドはリアルな同僚との関係を下敷きにされているとのことであったし、「こえるべきもの」も1990年代のとある大事件*3をモデルにしているとのことであった。

 そのあたりはセリフにもにじみ出ていて、「喜びの歌」で「夫婦は…」とか、怒りの追撃の「市場は自然の摂理…」と登場人物が語っているのは、おそらくSalvadorさんの実体験、実感から出ている台詞なのではないかと思わせる。Salvadorさんにとって、ソーサリアンの世界は現実世界のどこかにあってもおかしくないものなのかもしれない。

 さて、補足の拙作についてであるが、(良かれ悪しかれ)総じて中道である。吸血鬼、過去世界、魔物の塔など、舞台は全体としてファンタジーなテーマが多いものの、その背景に「近代化の道を拓くペンタウァ」「隣国ローデシアとの国境紛争」「ペンタウァ創世」など歴史の一事件を切り取ったようなテーマを据えることで、現実「的」な雰囲気に引き戻している。

 恰好をつけさせてもらうならば、非現実な世界に新たな現実を再構築する試み、といえる…かもしれない。この傾向は、作者が幼少期に幻想歴史小説なるジャンルに強く傾倒していたことにも起因するのかな、と一寸思った次第*4

*1:探索に特化している、エリアクリア型で進行度合いを明確にしやすい、狭いエリアで短い時間で遊びやすい、パターンを増やせば拡張も容易、などがその理由だ。

*2:この時点で私は「最後の巨神」は読んでいない。

*3:この場では明確にはしないので、それがなにか是非当ててみてほしい。

*4:プロローグなどで登場する「ペンタウァ暦●○年」などの表現は、思い当たる方もいるかもしれない